拝啓、最近自分の心がすさんでいると感じる私へ。定期的にこの記事に立ち帰りなさい。 過去の私より(笑)。
感謝ノートを書くきっかけ
社会人になって、学生の頃よりも1日1日が飛ぶように過ぎていくと感じる。仕事では常に効率を求められて、私生活にもせかせかとしたその感覚を持ち込み始めている自分に気がついた。まったく、私ってば仕事熱心でテイクアウトの達人なんだから(笑)
効率主義以外にも「ここは普通こうでしょう」といった、社会通念に則したジャッジを無意識にし続けている自分にもふと気がついた。効率を求め、社会的価値観に染まりつつある私には、以前よりも心に余裕がなくなりつつあると感じた。
具体的には、
- 車の運転が荒くなる。割り込みされると腹立たしく感じ、割り込みされないように車間距離を調整しようとする。
- 自分よりも歩くスピードが遅い歩行者が前にいるとイラッとする。
- 改札口で流れを止める人を見るとネガティブな感情が湧く。
などである。どれも「遅い、非効率だわ」とか「他の人に迷惑がかかっていることをどうして分からないのかしら」というように(無意識のうちに)新しく採用した価値観で他者をジャッジしてしまっていたのだった。
そんな時、Youtubeのオススメに「感謝ノート」についての動画が出てきた。「感謝ノート」とは、その日の終わりに1日を振り返って「ありがたいなぁ」とか「幸せだなぁ」と感じることをノートに書き出すことである。
小さなことにイライラする自分が嫌だと感じていた。感謝する習慣を作れば、デフォルトの思考を、現在採用しているジャッジまみれのネガティブ思考からポジティブ思考に切り替えられ、今の自分の状態を変えられるのではないかと感じたのである。
そこで動画を見たその日から、さっそく感謝ノートを書くことにした。スマホのメモに書いても良かったのだが、手書きの方がより感謝を実感できて効果を感じやすい気がした。あと久しぶりに手書きすると漢字が恐ろしいほどに出てこないので脳トレも兼ねることにした(笑)
感謝ノートを書くようになってからの変化
感謝ノートを書くようになると、日中のあいだもその日ノートに書くための感謝を探すことに意識が向くため、自然と身の回りの物事を感謝の面で見るようになった。一見ネガティブに受け取りそうなことも、感謝できるように解釈する意識があるのでポジティブに変換できるのである。
例えば、
- 電車で他人の咳や鼻を啜る音が気になる。
→そもそも耳が聞こえるからこその悩み。聞こえることに感謝。
→または、自分が咳もせず鼻水も垂れないような健康な状態であることに感謝。
→または、体からウィルスを出そうとする作用を他者に実演してもらうことで、ますます自分たちの体の偉大さに畏敬の念を抱ける。感謝。
のようにである。結局、起きてくる物事に対してそれ自体にはポジティブもネガティブも存在せず、そこに良し悪しの解釈を与えているのは他でもない私自身の心なのだと気がついた。この感覚は前に何かの本で知った気になっていた概念だったはずなのに、すっかり忘れてしまっていた。
自分の身の回りの出来事に善悪の定義づけをしているのは自分の意識なのであると気づいたことによって、これからの人生は自分の好きなように意味づけして解釈すればよいと再認識できたのである。この認識を忘れないかぎり、私は効率主義や社会的価値観に染められることもないだろう。なぜならそのような苦しいと感じる環境を作り出しているのは自分の解釈が原因だったからである。
さらに、あらゆる物事にはその背後に顔も知らないような多くの人々が存在していて、その方々のおかげで全てが円滑に流れているのだ、ということに気づかされた。
感謝ノートを書き始めて3日ほどたった時に、オフィスのエアコンが故障した。感謝ノートを書く前の私であったなら、「なんでこんな時に・・・。はやく修理してよ〜」とネガティブ100%濃縮還元タイプで受け取っていたはずであった。
しかしそんな場面でも、「そっか、エアコンがあることって恵まれた環境なんだ」と感じ、快適な環境で仕事ができていたことにありがたさを感じたのである。さらに、いつもオフィスを綺麗に掃除してくださっている方々や、エアコンの修理業者、エアコンの設計・製造に携わった方々・・・など、感謝すべき根源を辿ろうとするとキリがないほどに多くの方々に感謝の気持ちが湧いてくるのである。
道路で大声で電話している人も、路上でポイ捨てする人も、信号無視しちゃう人も、今まで私が当たり前だと思って気にも留めなかったことを、裏で支えてくれた顔も知らない方々のうちの1人だったのかもしれない、今後そうなるかもしれない・・・。そう思うと、これから出会う他者に対しても、今までよりも愛とゆとりある心で接することができるかも、と感じた。
これからも感謝ノートを書き続けて、自分の人生にどんな変化が現れるのかを楽しみながら観察していこうと思っている。
今日もありがとう、大好きよ。
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